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2006年 04月 14日

煩悩一巡り

というわけで本件が108番目の記事となりました。よくもまあ繰り言が続いたものです。

丁度良い区切りですし、実生活上の必要性もありますので以降更新を不定期に戻します。
当初の予定では今時分には手持ちのネタも丁度尽きているはずだと考えていたところ、
ビブ関連での書き込みやストレスで予想外に801を買ったため暫く持ちそうですが、まあ。


好嫌等の感情をただ述べることに果たして意味があるのか私は疑わしいと考えています。
書き手たる個人(知人・有名人)への興味・知識が無い状況で単なる感情を見聞きしても
評価の1標本となる以外は、脊髄反射的な共感か嫌悪の対象としかなり得ない筈です。
感情自体に対話可能性は無い上、感情をぶつけ返しても幼児の喧嘩と大差ありません。

しかしそこに理由を付することによって理解の可能性、ひいては発信の意味が生じうる。
仮に結論において相容れなくとも、論の運びを通じて討論や共感、批判の余地が生じる。
見解が相違する相手を無反省に嫌悪、抹殺する愚を避け、消極的な共存を図っていく。
この限りにおいて情報発信の、コミュニケーションの価値があると考えていますので。

但し一旦書いてしまえば、その読み手に委ねられた解釈の自由は絶対とも言い得ます。
現に私自身この「自由」を放埓に謳歌していることは読者子の慧眼には審らかでしょう。
何についてどのように書くかが書き手の自由である以上は反射効も当然に作用するため、
書き手としては誤読・曲解と思えるものについても反駁は意味を持ちえないわけで・・・。


しばらく更新頻度は落ちますが、これからも今まで通りのスタンスで続ける所存ですので、
よろしければお付き合い頂ければと思います。ヲチ目的でもお目に触れれば本望です。

「・・・これは検察側の陳述に過ぎないと弁えているからだ。批判の正否に対する弁護は、
作品自体がするだろう。判決は、読者に委ねられている。」(佐藤亜紀『検察側の論告』)


by bonniefish | 2006-04-14 23:59 | 身辺雑記


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