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カテゴリ:長文雑想( 25 )


2012年 05月 26日

百年一日

逃避癖がさらに悪化してきた結果,ネットサーフィンに割く時間が増えているのですが,
西条公威女史が断筆宣言をしてサイトを閉鎖しているのを発見し,正直驚いています。
過去に一時閉鎖された際には無事再開されましたので,今回も再開を祈るばかりです。


西条公威女史の作品については,その見かけの強烈さから魅力を語るのが容易でなく,
また残念ながら広範な同意を得られるものではないであろうことも明らかであったため,
文章にするのを先送りにしていたのですが,これを機に少しまとめてみたいと思います。

一般的な評としては,彼女の作品はは「痛い」との括りで語られる事が多いと思いますし,
決して間違いではないのですが,これだけでは西条作品の特質を捉えたことにはならず,
むしろ「痛い」とされる他の作品と共通性があるという誤解を招いてしまうように感じます。

欲望・衝動・暴力を,真正面から,しかし一歩突き放して(濃密だがどこか冷やかに)描く,
独特な鋭利さと,男性向けエロにも近いリアルな不品行の描写とが絶妙に溶け合う共存。
登場人物達がその情動にどこまでも忠実でありながら,自らがタブーを犯している事実を
厳然と自認している(諦念または罪悪感)ために生まれる,独特の緊張感,背徳感と高揚。
全ての要素が強烈なパンチ力をもって読者に迫り,「痛み」を感じさせるのだと思うのです。

別な面から見れば,キャラの設定,世界観,描写(特にエロ)において,手加減することなく
書きたい/書くべきものを書いている訳ですから,読者を選ぶのは間違いないでしょう。
(だからといって高尚だと言うつもりはありません。むしろ一面で下品であるとも言えますし)
私自身,高校生のときに初読した際には全く作風を受け付けなかったのも事実です。


よく比較に挙げられる(西条女史は不満だそうで)のが木原音瀬,榎田尤利の両名ですが,
私の読んだ作品を見る限り,西条作品とは目指すものが全く違っていることは明らかです。
両名の作品中の価値観等は,あくまで「こちら側の常識」に基づく画一的なものに過ぎない
見世物主義であり,「異常」「禁忌」を当事者として内側から描いたものではないですから。

個人的な感覚ですが,榎田作品でも「痛さ」はキャラクターをテンプレから脱出させるため,
そしてその葛藤等を描くことで話に一応の深みがあるよう錯覚させるためのものでしょうし,
初期を除く木原作品に至っては,奇矯で歪んだキャラクターが理不尽な言動を取ることが
むしろ「売り」になってしまっている(主客が転倒している)ように思えてならなかったので。

(とはいえ,榎田作品は『永遠の昨日』で食傷気味になり避け始め,ジャンルで買ってみた
 『Largo』も違和感が拭えず,信者の激しさにドン引きして4作しか読んでいないほか,
 木原作品も初期の5,6冊は好きでしたが,キャラの痛さが単なる作話上のツールへ
 なり下がり,意味づけに乏しい卑屈さ,妬み,暴力等をテンプレ的に描くだけになった上
 (特に刑務所シリーズ),やはり信者の激しさにドン引きして読まなくなっているので,
 その後に変化した可能性は否めませんが,西条作品と交錯することはないかなと。)


上記の評からも明白な通り,私は西条作品をその醜悪な面も含めて愛してやみません。
「壊れた」人や世界を描くことは,ともすれば自らが正常であることを再確認するためだけの
低俗な見世物主義に陥りがちですが(残念ながら一部の木原作品などに顕著なように),
西条作品は,常識とは,タブーとは何かをしっかりと踏まえながら,その枠を平然と乗り越え
「こちら側の常識」を揺さぶってくる凄味があり,読者としてただ感服するばかりなのです。

西条作品では,登場人物達は善悪や正否は別として自らの生き様を貫くことになります。
「エス」のように登場当初から突き抜けているキャラクターは蠱惑的な魅力を放ちますし,
自らの情動に衝き動かされ最後にタブーを乗り越えるキャラクターたちの姿もまたリアルで,
圧倒されると共に,いつか自分も同様に堕ちてしまうのでは・・・との恐怖にも襲われます。

換言すれば,西条作品の持つ「痛さ」は,単に登場人物や世界観から「痛さ」にとどまらず,
読み手側の足元を揺さぶり,依って立つ価値観を疑わせる鮮烈なパンチとしての「痛さ」,
自らの在り様を根底から問われる「痛さ」であるとも言えるのではないでしょうか。


また長々と需要の乏しい文章を書いてしまいましたが,奇特な読者子におかれましては,
ぜひ西条作品を一度手に取ってみていただきたいと切に希望するばかりであります。
作品に無料で気軽に触れることができる場としても,サイトの復活を祈るばかりですが・・・。
(完全な男性向けエロ小説も掲載されていましたのでその点でも読み手は選びますね・・・)

最後に再開への期待と込めてサイトへのリンクを貼っておきます。→ 硝酸銀シャワー
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by bonniefish | 2012-05-26 17:36 | 長文雑想 | Comments(0)
2007年 08月 10日

『黄金の太陽に悶えて』

つらつらと書き連ねてきましたが,折角の機会ですので,私自身の趣味のあり方と,
それが私の801業界への評価にどう影響しているかについて若干補足しようかと。


何度か述べていますとおり,私は青少年に対する憧憬のようなものを強く有しています。
この情動は過去への郷愁めいたものを含んではいますが,私自身がその年代だった際
憧憬の対象となっているような思考,感情,言動を取っていたわけではありませんので,
ある種の屈折を含みますし,それゆえに現実にはなかなか認め難い情動でもあります。
特に,私が801を読みはじめた頃は,まさに私自身彼らと同年代であったわけでして,
理性的にも性格的にもそのような行動が取れない身としては,意地ややっかみもあり,
また彼らの負の側面をも間近で見ていたので,それに素直に憧れることは困難でした。

当時の801は,恋愛感情は勿論としてキャラクターの感情を主眼に描いていましたし,
作家や読者が801を媒体に選んでいた動機は,「青年/少年に対する抽象的な憧れ」
とも言い得るような,割と形而上的な希求を含む情動であったと私には思えるのです。
当然の話ですが,女性は青年や少年になることはできないわけで,手が届かないが故に
彼らに憧れを抱くのは当然とも言えますし,ましてや男性同士の恋愛感情ともなれば
完全に女性には手が届かないものですから,憧れの度合もより強いものになり得ますし,
その距離の遠さゆえに却って男性への理想等が盛り込みやすくなっていたわけです。

当時の801が有していた,上記のような「彼岸にある理想的な美への希求と憧憬」は
まさしく私の中にあった情動と重なりうるもので,大変共感することができましたし,
加えてそのような情動をフィクションである801作品を読む中で昇華させることは,
現実世界における自らのプライド等を傷つけ難いことにもなりますから,結果として
私はほぼ必然的に801にどっぷりとはまり込むこととなり,現在にまで至るわけです。
(ちなみに現在は,私自身が齢を重ね彼らとは異なる世代に属し,自らに余裕もでき,
彼らとの利害関係もないことから,現実でも肯定的に捉えるようになっていますが。)

しかしその後の801においては,作中の男性への理想の盛り込み方が変容しはじめ,
より卑近というか即物的な理想(肉体的特徴,経済力,知力など)が中心となりました。
併せて「男性同士の恋愛」と言う面より「女性が関与していない」という面が注目され
読み手である女性の恋愛への興味を満たしつつも,同性キャラと自らを引き比べるという
自意識との抵触を避けることができるジャンルとして広く支持されるようになりました。
この現象は止むを得ないものと分かっていますが,私としては批判的に捉えていますし,
何よりもこれにより旧来の801が傍流に追いやられてしまったことが誠に残念でして。
商業誌のみを読んでいる身が批判すべきではないことも重々承知はしていますが・・・。


以前に書いた記事とは別の角度から801業界の変遷へのコメントを加えてみましたが,
いかんせん私が一部の商業誌しか読んでいないゆえに個人的回顧の域を出ませんねえ。
まあ誰も歴史の全てなど語るべくも無く,このような断片の集積こそが歴史をなすのだと
嘯くくらいしか慰めはありませんが・・・。誰かきちんとまとめてくれないか知らん。
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by bonniefish | 2007-08-10 03:32 | 長文雑想 | Comments(0)
2007年 08月 09日

『曖昧にして不埒な願い』

前回の記事は現在の心境を表してどうも回りくどいですが,言いたいことをまとめると,
「この作品世界でこのような登場人物がこのような言動を見せることに至極納得が行く」
という観点での「リアルさ」を称揚していることと(特に恋愛感情を巡る情動について),
「そもそも作品世界そのものについて自分が許容できるか否か」という観点において,
合理性や客観性を過度に欠いた「ご都合主義」を糾弾していることの2点になるのかと。
もっともいずれの観点とも私の判断にかかるものですので,個人的な嗜好や人格による
バイアスから逃れられていないとは思います(自分なりに修正はしているつもりですが)。


さて,今日の本題である「作家の趣味」の話に移ります。なるべく手短に行きましょう。
作家として作品を形成する場合,それは第三者に何かを伝えようとしている訳ですから,
相手にそのメッセージを伝えるためにどのような手法をとるのかが肝要となるはずです。
これは作品世界やキャラの設定から,話の展開,描写方法等各点に及ぶと思いますが,
今回の問題意識は作品の「設定」に関するものですから,話をこの点に絞りましょう。

人が作品を作ろうと考える場合,その表現欲の原動力またはコアとなるメッセージは,
作者自身が積極的な価値を与えているものである場合が多いのではないでしょうか。
自分が好きなものを誰かに伝えたい,というのは自然な感情の一つだと思いますので。
ただ,伝達を志す以上は,設定においても一般に理解が得られやすいものとした方が
良いということになりますし,仮に一般的でない設定を伝えたいと思うのであれば,
理解が得られ易い要素を取り入れたり説明を分かり易くすることが望ましいでしょう。

創作意欲というのは作品の魅力を向上させるための最も重要な要素でしょうから,
自分の趣味を作品に出すこと自体は全く謗られるべきものではないと思うのですが,
作品として世に問う以上は読み手にも伝わりやすくして欲しいなあとも思うわけでして。
あまりに趣味にだけ走られてしまうと「作者だけが楽しい作品」になってしまいますので。
一般受けする趣味ではないことはオリジナリティを獲得しやすいことにも繋がりますから
その趣味を作品としての魅力に繋げることができればより良い作品になると思いますし。
まあ作者の趣味が暴走して理解し難い,あるいは説明が足りない作品になったとしても,
万人受けだけを考えたテンプレ塗れのベタ作品よりはマシなのかも知れませんが・・・。

また,先に述べたとおり,作者が「同じ趣味」の作品ばかりを発表してしまうこと自体は,
不可避なことも否定できないでしょう(もちろんそうでないことが好ましいと思いますが)。
それでも,趣味それ自体やその描写が魅力的なら作品の価値は損なわれ難いでしょうし,
作品のその他の要素において独自性を加えたり表現手法を工夫したりされていれば,
特段批判されることには繋がり難いでしょう。逆に言えば,ただ萌えを垂れ流すような
作品ばかり書いてしまえば,趣味に走りすぎとの批判は自ずと免れ得ないでしょうし。

結局,作者が自らの趣味を作品に投影することは創作意欲の点等から自然なことで,
創作のモチベーションや作品の質の向上に資する点に鑑みても謗るべきではないが,
趣味に甘えたり没頭したりして話やキャラの設定を疎かにすべきでもないということかと。
換言すれば,作者が持っている趣味を作品上でどのように昇華させているかによって,
「個性」として称揚されるか「独りよがり」として謗られるかが決まるのではないでしょうか。


今回のコメントが取り上げている点は,私と作家側の双方の主観に関わるものですので
異論や違和感を感じる方も多いでしょうし,そもそもどこまで理解が得られるか疑問です。
まあ何気なく「好き/きらい」だけで済ませがちな点についてちょっと考えてみることは
大変に面白いことだと思いますので,本記事がきっかけにでもなってくれれば幸甚です。
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by bonniefish | 2007-08-09 23:59 | 長文雑想 | Comments(0)
2007年 08月 06日

『蒼空の憂いを描いて』

先日,私の記事について,普段ろくに考えないまま書き流している点を的確に指摘する
コメントを頂戴したのですが,返信がまとまらないうちに日が過ぎてしまいましたので,
ここで記事として取り上げてお返事してみようかと思います。まずはコメントを再掲。


いつもたのしく感想文読んでます。ところで読むたび思っていたんですが、管理人さんがよく「リアル」で。とかかれますが、その意味がよくわかりません。管理人さんがおっしゃる【リアル】とは、何に対してのリアリティを指しているのですか?

あと、今回の感想をみてて思ったのですが、そういわれるとBL作家さんって自分の趣味の話しか書きませんよね。真行寺さんは書かれる年齢層が最近高めなのでわかりやすく目立ちますが、他の作家さんも毎回似たようなキャラクターで話で、でもそれって管理人さんが指摘されるまで気がつきませんでした。趣味の設定とか話って、作家の個性とは違うものなのでしょうか?みろくことこさんの単行本などを読むと、短編集なのにみんな同じ話に見えるし、深瀬紅音さんのかかれるキャラクターも話もいつも同じな気もします。

まず,私の「リアル」という語の使い方ですが,あくまでも個人的なニュアンスとして,
作中で描かれているキャラクターの感情の動きやセリフ回し,行動などについて,
それが現実にありうる,あるいは自分として共感・納得できるなあ,と思った際に,
褒め言葉として「リアル」という語を使っていることが多いと自分では分析しています。
特に,相手に対する感情が高まる様や,感情の直接・間接的な発露が描かれる場合に,
その直接的な描き方が上手であることを指して評価していることが多いと思いますが,
あえて直接的に描かずに読み手側の想像の余地を上手く残して描いている場合にも,
同様に「リアル」だと褒めていると思います。この辺は特に主観性が強いと思いますが。

いくつか補足しますと,「お話」についての,しかもとりわけファンタジー色の濃い
「801」について評価する中で使っている評価軸ですので,ノンフィクション的な
リアリティーや,現実の苦さを求めている(称揚している)のではないと考えています。
物語である事を踏まえつつも,自分がその作品に移入してキャラクターに共感できる,
別の側面から言えば,フィクションゆえにデフォルメされている諸要素について,
逆に現実側に向けてデフォルメし直しても(現実としての)違和感が少ないと感じる,
そのようなシーンなり描写なりキャラなりが存在する作品を称揚している感じです。

この場合,「リアル」と感じているのはあくまで私に過ぎませんので,この評価軸も,
「私の中の感情」の在り方によってその指標が変わり得るものであることは必然です。
ただし,直接自分が作中の当該状況下において当該感情を抱くか,という観点ではなく,
自分とは異なる感情であってもさもありなんと感じられるものかどうかを考えていますし,
その感じ方についても,ある程度汎用性を持つものにはしようとしているつもりです。
それでも,好きなシチュエーション(学園もの等)であれば,好みが評価を甘くさせて
(あるいは私の妄想を排除できず)リアリティを認めやすくなっているとは思いますし,
強姦や支配関係等好みでない話についてはそもそもこの評価をしていない気もします。

また,リアリティに関連しては,いわゆる「ご都合主義」についても触れておくべきかと。
先ほどの評価軸は「お話」の中でどこまでリアルさを出すかという点での話でしたが,
そもそも「お話」として考えても余りの現実味の無さに嘆息する作品も少なくありません。
余りに現実味が無い,或いは独りよがりの妄想的な展開で,話の体をなしていない場合,
私としてはその世界観の狭さに辟易せざるを得ずに「ご都合」との批判を加える訳です。
もちろんこの「リアリティ」に関しては,フィクションであるという大前提の下ですから
最低限のもので足りるのは言うまでもありませんし,作者と私との世界観の相違は勿論,
作者の理解・取材不足による誤解や偏見がもたらす「違和感」とも異なると考えています。

この辺りの問題意識については桑田乃梨子氏が漫画作品の中でネタにしていますので
そちらを見てもらえばもっと分かりやすいと思うのですが,手近に無く引用できません。
要は「漫画/小説としてもこの無茶/いい加減さはどうよ?」ということなのですが・・・。
そして,この点の評価においても個人的な嗜好によるバイアスは否定できないでしょう。
ちなみに,話がハッピーエンドであることと過度のご都合主義が跋扈することの間には,
何の論理的関係もないと思っています。もっともハッピーエンドを導くための話の展開は
得てして強引になりやすいとは思いますがね。奇矯な設定の話が多い昨今では特に。


何か無駄にくだくだしくなってしまったので,「作家の趣味」の話は次回ということで。
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by bonniefish | 2007-08-06 23:59 | 長文雑想 | Comments(0)
2006年 10月 30日

私的「ナヲコ」考

最近碌に感想も書かず私生活上のボヤキが多くて恐縮ですが、もう散々でして(苦笑)。
ドタキャンはされるわデジカメの調子は悪いわ車は擦るわ等、精神力と金が減る減る。
ここも炎上の予感がしますし、やはり先日の滑り込みで運を使い果たしたのでしょうね。
まあ巡り巡れば全て己が咎。歪んだ根性を変えるべくも無い以上愚痴る方が筋違いで。


折角作品を読み返したので、下の記事で紹介したナヲコ氏の作品について若干コメントを。
手間を省くため以前に友人のサイトの記事で述べたコメントに追記する形を取りますので。

まずは事実誤認の訂正から。ショタアンソロで発表の5作品にはいずれもエロがあります。
また少年同士のショタを描いてもいません。少年同士の感情描写はあるのですが・・・。
これらの点は成年コミック『DIFFERENT VIEW』との印象の混淆が起きていたようです。


やはり諸作品を通して読んで思うのは、作品内におけるエロの比重が軽いということで、
これが上記のような印象として強く刷り込まれたのだなあと。もちろんエロいのですが、
「エロに至るために話がある」のではなく、エロはおまけと言うか、心理描写を終えた後に
2人の心が繋がった象徴というか、ハッピーエンド(?)の記号として描かれている感じ。
『JUNE』世代の影響が色濃かった90年代後半までのやおい漫画と印象が似ています。
もっとも発表年代がその頃なのですから当然と言えますが、ショタではやや異色かと。

この点に関しては、ナオコ氏自身が先の同人誌の解題で以下のように述べています。
『エロしばりがないので、そのぶん欠落感の描写が容赦ない感じです。』(『楽園の人々』)
そして同作は『言いたいことが言えた気がし』て『自分でも珍しく、結構気に入っている』と。
ここに挙げられた『欠落感』が、彼女の作品の一つのキーワードではないかと思うのです。

リンク先の記事で私が述べた「幼さゆえの必死さとか一途さ、もどかしさとか甘酸っぱさ」
「幼少時独特のベタベタ感や体温の高さ」の中身というか感情の方向性を見てみると、
「自分を特別に愛してくれる誰かの体温の希求」が強いことに改めて気付かされます。
恋愛感情よりももっと原初的というか本能的というか、幼児が親の抱擁を求める感覚に
近いレベルの情動だと思うのですが、それをキャラがストレートに表す様が描かれていて。
ナヲコ氏が感覚的・共感的な視点からこれを描いていることが読者の胸を打つのでしょう。


「愛情を求める少年(少女)」自体、ショタに限らず801やさらには一般の漫画や小説でも
描かれていますし、私自身読むことが少なくありませんが、多くの場合その情動の理由を
「欠損家庭等における親の愛情不足」というテンプレに任せ、その有様は余り描きません。
もちろんそれでも筋は通りますし、読者側の想像力の作用もありますので感動できますが
この点をないがしろにせずに生々しく描いているナヲコ氏の作品が読者に与える感情とは
そもそも作用点が違いますし、これだけのリアリティで描かれては比較になりません。

また特にショタの場合、そうした少年は主人公に抱かれる客体として描かれることが多く
少年側の心情を濃やかに拾う必要性が薄いことや、先に述べたとおり少年側の感情は
エロを導くために用意されることが多い点も、テンプレ任せの理由として挙げられるかと。
しかしナヲコ氏の作品の場合には、メインとして描いているのは少年側の心情であって、
エロはその情動が満たされた事を示す記号になっており、通常と主客が逆転しています。
(というより掲載誌側の要請で描かざるを得なかった、という感じなのでしょうが。)
この点が彼女と他のショタ(に限らずエロや百合)作家との一線を画す理由でしょう。


ナヲコ氏が描きたいことが上記のような情動であると思われることは、活躍の舞台が
諸分野に渡っていることの説明にも繋がります。主人公の属性と背景を変えてしまえば
どのジャンルにおいてもこの情動を描くことは可能だからです。もっとも情動の性質上、
ある程度主人公の年齢が高くなると理性面からの狭雑物が入りやすくなるでしょうから
一定の縛りはかかるでしょうが、ショタ、ロリ、百合というのは良い着地点でしょう。

実は彼女の作品では「親の愛情不足」が直接的には描かれていない点も興味深いです。
欠損家庭が描かれることは少なくありませんが、情動自体はもっと一般化されています。
考えるに上記の情動は親の愛情の多寡とは異なるレベルでも生ずべきものでしょうし、
安直な理由付けに頼らず生々しい感情を画面に表している点も長所と言えるでしょう。
ただもし上記の情動に理由をつけるとしたら彼女がどのような理由を用意するのかは
非常に興味深い点ではないかと。もっとも理由など不要なことも分かってはいますが。


現在ナヲコ氏は百合系で活躍しているわけですが、リンク先の記事でも述べたとおり、
「エロのくびき」から離れたことはナヲコ氏およびその作品にとって良いことでしょう。
彼女自身が「エロしばり」という表現を使っていることもその裏付けになると思います。
読者がエロが求めている媒体で作品を発表したために、その媒体のメイン読者層の
嗜好とのズレてしまって単行本化等の妨げにもなっていた、という弊もありますし。

また上記のような情動の解決策としてのエロ、特に大人とのエロが描かれた作品では、
「心の寂しさを身体で埋めている」というようにも読めてしまうため(個人的にですが)、
それを少年が行っているという点に若干の苦さや陰惨さのようなものを覚えてしまって。
彼女が描こうとしているものを受け取るに際してエロが狭雑物になっているというか。
もっとも彼女の話からは「体温」への希求が強く感じられるため違和感は薄いのですが。
(この「体温への希求」のリアリティも彼女の特徴ですね。作品の官能性の源泉かと。)

他方ではショタにエロを求めることもある身でありながらの全く矛盾した意見ですが、
彼女にはこれからもエロではないラストを描いて欲しいと希求するばかりであります。
ある意味「安直な解決」でもあるエロを使わないことは、困難を伴う作業になるとも
思うのですが、彼女であればその結果として素晴らしい作品を描いてくれると思うので。
・・・結果としてショタを離れてしまいそうなのは口惜しいですが、仕方ないのでしょうね。


妙に長くなった上まとまりもなく勝手な意見も多く恐縮の限りですが、今日はこの辺りで。
また機会があったら別な角度からもコメントしたいと思います。いつになるかはさておき。
もっと多面的な読み方が出来る傑作揃いの一冊と思いますので、皆様是非ご一読をば。
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by bonniefish | 2006-10-30 23:59 | 長文雑想 | Comments(0)
2006年 08月 19日

私的「鷺沼やすな」考

自分の一生とは言わずともここ数年の行く末がかかっているかも知れない事態に対して
いまいち真摯になりきれなくて・・・2択から本気で絞り込みができずに苦吟しております。

そんな心の余裕の無さ(いつあるのだという点はさておき)もあって筆が滑りまくりですが、
ようやく先のコミケで友人に入手して貰った鷺沼やすな女史の同人誌を読み始めたので
それに関連する話でもと。『恋、爛漫』の再版がされていないのが痛すぎるのですが・・・。


彼女の作品を読んでまず思うのは、硬質で端正な文章が非常に私の好みに合うこと。
硬質でありながらぎこちなさの全く無い文章は、巧みに張り巡らされた挙措の描写の妙と
温かい心情描写があいまって、読み手たる私をすぐに作品世界の中に引き込むのです。
状況の説明等も上記の各描写の合間に見事にさりげなく置かれ雰囲気を壊しませんし。
修辞に走れば、柔らかく肌触りの良い作品世界(人物の心情のみならず作者の眼も)が
クリスタルのようなきらめきのある文章に包まれていて、大変に美しいなあと思うのです。

例えば長編であれば、登場人物達は幾つかの大きな出来事に遭い対応を迫られますが、
その出来事の描き方の上手さは勿論、登場人物がそれを内心で受け止めていく過程が
非常に濃やかに巧みに描かれていることが作品全体のリアリティを格段に高めていて、
しかもそれは「801」としてのお話性、ファンタジー性をほぼ損ねることなく並存している。
納得をして話に没頭できるし、優しく紡がれる心情の機微にも心から共感できるのです。

たとえ描かれる出来事や感情が負の要素を帯びるものでも、単に負として描くのではなく
そうした負の背景や構造をきちんと設定した上で適切な形で読者に提示してくれるので、
不快感は勿論、ご都合感を感じることも無く、温かい気持ちのままで読むことができます。
確かな文章力を下敷きに、作品世界の中の出来事を丹念に見つめて優しく描写している
彼女の作品を読む時間は、私が「小説を読む歓び」に浸ることが出来る幸せな時間です。
801ではこうしたひとときを味わうことがめっきり減ってしまっているのですが・・・。

上記のような描写力と観察眼の卓抜さは、諸作品をして上質な物語たらしめていますが、
既存作品の番外編や後日譚において特にその真価を発揮していると私は考えています。
新規作品や長編のようにキャラの新奇さにも事件の大きさにも頼れない状況だからこそ、
「日常の妙味」を卓抜に掬い上げることができる彼女の能力が遺憾なく発揮されるかと。
毎日の何気ない出来事をドラマとして、登場人物達の「今のあり様」を垣間見せてくれる
作品の数々は、本編を通じて彼らのファンとなった読み手にとってはまさに僥倖です。*1

個人的な様々な事情(マニヤ的完璧主義と時間的・金銭的制約との齟齬など)によって
801同人誌に手を出していない私が、禁を破って彼女の同人誌だけを買っているのは、
一つにはこうしたファンとなった作品の続編を読みたいからということが挙げられます。
彼女の作品およびその登場人物たちはどれも、その後を知りたいと思わせるほどに
活き活きと描かれていますし、読んでいて共感せずにはいられない温かさがあるので。
もちろん同人誌で描かれる新作を読みたいというのも動機の別な大きな一つですが。

彼女の作品は『鷺沼企画二番館』でも読めますので(オリジナルが工事中なのが残念)
ご興味が惹かれましたら是非ご来訪を。私はここで『夢の卵』の番外編『シンシア』を読み
初めて同人誌を通販で買う決意を固めたのでした。本名を晒してでも読みたいと思って。
あと彼女に対する書評としてはこちらなどもシンプルにまとめてあって良いかなあと。


*1 昨今は「後日譚」と称し、碌に意味の無い惚気やH描写を添付するのが流行ですし、
人気のある話ではすぐ「続編」と称し、事件か当て馬への誤解に引っ掻き回されるだけの
駄文が垂れ流されるのがデフォになっているようで、個人的には嘆かわしい限りです。
本当にその作品や登場人物を愛しているならこうした所為は噴飯ものだと思うのですが
こうした続編が売れる辺り、愛が表層的というか「萌え」の域を出ていないんだろうな・・・。
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by bonniefish | 2006-08-19 23:59 | 長文雑想 | Comments(0)
2006年 08月 06日

丸一日の休養

先に連絡事項から。今後コメント欄で「Thank you!」という語が使えなくなります
カジノ等の宣伝コメントがうざったいので、既にいくつか禁止語を設定してあるのですが、
今回は使われる可能性がありそうなので、コメントのご予定のある方はご留意頂きたく。


就職活動やら飲み会やら結婚式の2次会の幹事やらとバタバタし続けだったのですが、
今日は珍しく何の予定も無く、昼過ぎまで惰眠を貪った後は、前田ともやら鈴木ツタやら
コバルトの某『百合系』の人気シリーズやらを読んで昼寝をしてのんびりと過ごしました。
(あのシリーズは出来は悪くないと思うのですが、作者が各キャラを見下ろしているように
 思える辺りがどうも肌に合わない所があって・・・。「おばさん」が見えてしまうとどうも。)

そしてつらつらと自分の801趣味について考えていた所、801から広がった趣味として、
須賀敦子の作品を読むようになった事があると気付きまして。すっかり忘れていました。

きっかけは某801オフで彼女の代表作の一つ『ユルスナールの靴』が話題となったこと。
小説読みの腐男子の参加が少なかったため自然と話が長くなっていた参加者の方が、
「801以外ではどんな作品を読んでいるか」という話題で触れたのが須賀敦子氏でした。
他の方のお勧めや彼との他の話は忘れてしまった中で彼女の名だけを覚えていたのは
彼が暗誦を披露してくれたとある一節が強く心に残ったためです。その一節とは、

『眼をつむって愛するのは盲人のように愛することだ。
 眼をあけて愛する、それはたぶん、狂人のように愛することだろう。
 どうにもならないまでに受け容れなければならないのだから。
 わたしは、狂女のようにあなたを愛する。』

という、フランスを代表する作家ユルスナールの一節を須賀氏が翻訳した部分でした。
全く予期せぬ状況で斯くも凛として底堅く、火のように美しい一節に触れた驚きに加え、
その後に彼から教えられたその書名が『ユルスナールの靴』であったということにも
偶然の暗合を覚えずにはいられなかったのです。自分が何度読み返したか分からない
鷺沼やすな氏の『夢の卵』に出てくるレストランの名が「ユルスナール」であったために。

自分はこうした暗合は尊重すべきだと信じているので、数日後には河出文庫を購入。
その深い思索と豊かな描写、他者や社会、事物に対する冷静さと温かみをもった視座、
そして何より彼女の背筋の伸びたたおやかさが滲む文章の虜となっていったわけです。

どうやら元々自分は外国生活を経て視野や人格を深めたしなやかな女性のエッセイが
かなり好みなので、そういった点でも彼女の作品との出会いは非常に幸福なものでした。
(他に同じ分類で好きな作家としては青木奈緒や梨木香歩あたりが挙げられるかと。)

オフのようなイベントには参加しなくなって久しいですが、趣味を「論ずる」ことができる
人と出会うことは本当にありがたく、そのような時間は貴重に他ならないと思います。
そのような繋がりはこれからも築くとともに大切にしていきたいものですが・・・。
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by bonniefish | 2006-08-06 23:59 | 長文雑想 | Comments(0)
2006年 07月 10日

言い訳を少し

下の記事は心根のさもしさが出すぎてしまった気もするので一応言い訳をば。


自分が一番拘っているのは、たとえ限定がついても、被害者側となり得る立場から
「レイプ」を許容するが如き言動がなされ、そのような801が出ているという事でして。
「イケメンにならレイプされても良い」的ドグマのうち、後段がメインだった筈なんです。
ただブサメンゆえのひがみ(?)からかついつい前段の方に筆が流れてしまって・・・。

松永氏に代表される女性が嫌悪する、征服欲や嗜虐欲の発露としてのレイプものは
自分はまだ理解しやすいと考えています。これは加害者側の妄想の発露ですから、
視点も原則的には加害者側ですし、被害者を物としてしか扱っていないのも当然です。
ただ余談になりますが、男性向けエロにおけるレイプ物にも2種類あると考えています。
相手の人格ごとまさに蹂躙することに醍醐味を感じるような、残虐あるいは凄惨系と、
単なるシチュエーション、あるいはプロセスの省略という程度でレイプをしているだけで
被害者に人格があると考えてしまうと性欲の発露の妨げになってしまうようなものと。
そして男性向けの場合、大多数は後者の、去勢された害の薄い妄想だと思うのです。
しかし結果的にはこちらの方がより女性を無視しているというパラドックスですが・・・。

話を801に戻しますが、801(に限らず女性向け)の場合に自分が最も気になるのは、
基本的に被害者視点から描かれ、そして読み手も潜在的被害者候補であることです。
しかもそこでの描かれ方を見るに、松永氏も指摘する「愛情の暴走」である点以外には
被害者への配慮や描写の遠慮等もあまり見られないものが多い点が解せないのです。
心身を蹂躙され深く傷つくであろう行為が、「愛情」や「イケメン」という要素があるだけで
斯くも簡単に許されてしまうのかという点が、個人的に偏に引っかかってしまうのです。

もちろん「お話の中の出来事に本気で突っ込んでどうする」との指摘は妥当と思います。
しかしたとえお話の中であっても、あまりに安直かつ平易に被害者視点でのレイプが
描かれている現状を見るに、書き手なり読み手なりの想像力が足りないのではないかと
考えてしまうのです。そもそも自分が読んでいて非常に座りが悪いというか不快というか。
もう少し愛情を強調するなり展開をソフトにするなり事後の心的フォローをするなりして、
共感的立場であっても受容可能な程度にまで描写を尽くして欲しいのですがねえ・・・。

まあ今までグダグダと書いてきて分かったのは、この点に引っかかる最大の原因は、
自分の中で他人の許容値を定めて判断するときに「愛情」という要素が持つ大きさが
小さいからではないか、という身も蓋もない結論なのですが。自己中な人間なので。
でもそれにしても自分が未だ相手に惚れてもいない状況でレイプなぞされたとしたら、
いくら「愛情」があっても許容すべき余地なぞ欠片も無いように思うんですがねえ・・・。
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by bonniefish | 2006-07-10 12:32 | 長文雑想 | Comments(29)
2006年 07月 09日

人格と品性が疑われる話

まあ本ブログのヲチャーの皆様にとっては今更でしょうから公開してしまいますが。


『GUSH ManiaEX 体位』所収の松永也槻のエッセイ「妄想ノ棲処」において、
以前話題にしたこともある「レイプ物」の多さについてのコメントがなされています。
基本的に自分が勝手にそうではないかと考えていたことに近いように思われますが、
彼女をもってして腐女子の代表と見ることも出来ないでしょうから、個人的な考えに
合致する有意なサンプルが一例見つかったという認識に留めておくべきなのでしょう。
それでも若干突っ込みたい所はあるので、以下簡単にブサメンとしての負け惜しみを。

曰く、レイプ物は「夢と希望」として存在するのであり、「女性にはレイプ願望がある」と
いうのは「男性」の安直な誤解。「ラブの演出」で「愛しているから(レイプする)」ので
女性や受の「人間性を認めず」「物として扱って性欲の捌け口にする」ものとは違うと。
この点までは個人的に納得も行きますし、考えていたことと基本的に一致しています。

ただこの直後に、「愛ゆえの執着」と言いつつ「相手が誰でもいいわけじゃないんです」、
「イケメン以外お断り」と本音と思しき点に話が飛んでしまうと様相が変わってきます。
ブサメンなら「セクハラ」になることでもイケメンなら「悪ふざけ」になるという例等は
801以外でも感じてきたことではありますが、臆面も無く言い切られるともにょるかと。

その後も、日本では「女性の(性的な)はしたなさ」に否定的な「貞操観念」があるため
「照れ隠し」、あるいは「言い訳」としての「レイプ物」があるのだと指摘していますが、
これは身も蓋も無く言えば、襲われたことを性欲を満たす言い訳にしているに過ぎず、
結局のところ「(イケメンに)襲われたい」ということ自体は肯定してしまっている訳で。
下手に文化や貞操観念を持ち出して正当化しようとして見事に玉砕しているというか。

結局「イケメン」に「愛されて」ならば襲われても良い、という発想の女性がいることは
事実なのだなあという点を再確認し、腑に落ちると同時にもにょってしまった次第です。
突き詰めれば「男に都合が良い」構造になっているなあ、と他人事のように思いますが。
仮に女性側にそういった情動があるとしても、まあ普通で正常な事だろうと思いますし
別段上記のような情動自体を非難する気も擁護する気もその資格もありませんので。
増して妄想と現実を取り違えて襲おうなどと思うわけではありませんが(ブサメンだし)、
逆に自分に置き換えるに理解し難いなあと。いくら愛でも乗られたらドン引きしそうだ。

ついでですが、情動を過度に誇張する801が多いのも理解し難いなあと思います。
あまりにあけすけなエロに開き直られたりすると正直げんなりしてしまうのでねえ。
「はしたなさ」をひた隠そうとしてなお情動が滲むという心身が動きが仮にあるなら、
まさにそこにエロティシズムが現出しており、それをそのまま描けば良いと思いますし
情動そのものをあけすけに描いても却って興を削ぐことでしかないと思うのですが、
この辺りの発想はやはり男性的なのかもしれませんね。見事なすれ違いだ・・・。
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by bonniefish | 2006-07-09 23:59 | 長文雑想 | Comments(0)
2006年 04月 06日

弔意と共に~第100回に寄せて~

強引に生活改善を図るべく、昨日21時以来合計2時間程の仮眠で現在に至っています。


情報自体は昨日夕方に入手していたのですが、丁度良い区切りになるかと思いまして。

というわけでBL業界の一大牽引役・メルクマールであったビブロスが倒産したそうです。
忘れもしない95年の5月、修学旅行中に友人から『MAGAZINE BE×BOY』の6月号を
読まされたのをきっかけとしてこの業界に足を踏み入れてから現在までのほぼ11年間、
執筆陣や編集方針の変遷に愚痴を漏らしつつも毎号欠かさずに読み続けてきた雑誌が、
突然の終焉を迎えたことには、ショタの時とはまた異なる一方ならぬ寂しさを覚えます。

個人的な感覚では有りますが、なんだかんだ言ってもこの会社が、そしてマガビーが、
801のメインストリームであると感じていました(ご賛同いただける方も多いでしょう)。
最も早く801漫画の月刊誌を出し、非801読者の人口にも膾炙するほど有名であり、
少なからぬ者の801入門のきっかけとなったビブロスが無くなる日が来るとは・・・。
倒産の理由が他部門や関係会社の煽りを食ったためですので、801部門は編集部ごと
他社に引き取られた上ですぐに再出発するという希望的な噂や憶測もあるようですが。

都心への定期が今日までなので馴染みの書店を覗いてきましたが、ビブロスの棚の前で
店員と取次と思しき方が話し込んでおり、まだ商品の引き揚げは始めていないようでした。
棚を確認したりコミックを手にとっていく腐女子の方も普段より多く見受けられましたが、
個人的に買い漏らした作品はないようなのでしばらくその遠景を眺め、帰路につきました。
ここに来てのショタ・801業界の状況の変化の早さにはただ唖然とするばかりでしたが、
今回の騒動で更に業界との乖離の度合が進むのかという達観にも似た思いがあります。

いずれにせよビブロスの倒産が801史に刻まれる出来事である点は確かなことでしょう。
この影響が業界全体に波及して再編が加速するのか、それとも単なるレーベル替えとして
最近無駄に肥大化していたビボイ作家陣やアンソロラインナップの減量整理で済むのか、
目が離せない状況が続きそうです。また某所に逃避する口実が出来てしまった(苦笑)。
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by bonniefish | 2006-04-06 23:59 | 長文雑想 | Comments(0)