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2006年 02月 24日

やはり地雷ネタだろうか・・・

体調不良をこれ幸いにと休んでいると益体も無いことばかりに考えが及びまして。
2日続けて801とは関係ない話題で恐縮です(少しだけ関連はしているかも・・・)。


スポーツはいつから「感動」と密接不可分なものとして取り扱われるようになったのだろう。
夭折したナンシー関女史がアトランタ五輪の頃から(!)既に指摘していたことだが*)。
予め断っておくが、凡そスポーツが感動を与えるものではないなどと言う気は毛頭無い。
競技としての美に打たれることや、戦う姿自体の美しさに魅了されることもあるだろう。
死力を尽くして勝利をもぎ取り、あるいは破れ涙する姿には共感も賞賛も覚えるだろうし、
そこに至るまでの努力や苦しみに思いを馳せれば、万感の思いもこみ上げてくるはずだ。

しかし勝利時に顕著に感じられるのだが、上記のような内実を伴わず結果のみについて
「感動した」と言っているとしか思えない一群の人々や報道が存在する気がしてならない。
仮に敗れたとしても「一生懸命な姿に感動した」などとオウムのように連呼される「感動」。
マスメディアによっていつの間にか「感動」に「絶対善」の価値が与えられてしまったのは
もはや所与として受け入れざるを得ないが、それがこれほど浸透したのはなぜだろうか。
穿った見方だが、個人的には「感動」も一種の思考停止である点が理由という気がする。
つまり「萌え」と全く同じ現象が全国民的レベルで堂々とまかり通っているのではないか。
曖昧なプラットフォームの上で「共感」を分かち合ったと錯覚するだけの無為な行為が。

今回の日本人女子初の快挙は喜ばしいし、スポーツ界の歴史に残る栄誉に間違いない。
そしてこの栄冠に至るまでに積み重ねられたであろう並々ならぬ努力と辛苦を考えれば、
彼女本人やそれを支えた人々、或いはその艱難を知る人々が感動することは納得いく。
あるいは演技の美的表現から感動を受けるということも大いにあり得ることだとは思う。
よって一連の報道に現れた「感動」には真摯に心を揺さぶられたものも含まれるだろう。
しかし「とりあえず感動」しているというなら、余りに無内容で安直に過ぎるのではないか?
中身の説明できない「感動」なんぞ凡そ喧伝できるような代物ではないと思うのだが・・・。

それにしてもヒステリックな期待報道から事後の無意味に健闘を讃え惜敗(?)を嘆ずる
あの一連の報道の流れはどうにかならないのだろうか。参加するだけで素晴らしい行事で
しかもそこで各選手が実力を遺憾なく発揮して入賞等の栄誉を勝ち得ていると言うのに、
上位の3選手のみが全ての価値を占めるのだとでも言わんばかりの偏向した報道ぶりと、
それを取り繕うかの如く繰り返される努力と「感動」の強調ぶりにはただ嘆息するのみで。
(これが嫌で中継等は一切見ていないのですが、正規のニュース内に侵入されては・・・)

*)ナンシー関「千葉すずは日本に蔓延する「感動させてくれ病」の特効薬か」(96.8)
  (角川文庫『何が何だか』所収)この時点で既に「ここ数年」との指摘が。凄すぎ・・・。
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by bonniefish | 2006-02-24 23:40 | 身辺雑記 | Comments(0)


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