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2006年 02月 20日

ショタ雑想(5)個別懐古編① まんだ林檎

現況の救いの無さに酒勢を買ってみましたが、結局ここの更新が進むだけのような気も。


さて、繰り返し述べた通りマガビー連載時の『子供の情景』の煽り文句(セックスごっこ)に
当初から後ろ暗い興味を抱いていた私が、本格的にショタを認識&実感させられたのは
『b-boy vol.17 ショタコン特集』で、これは筆舌に尽くし難い内的革命(?)をもたらした。
男性向けエロ作家のゲスト原稿が多かったのには萎えたし、可愛げなエロだけを追求し
中身が無い作品もあったのだが、まず冒頭の藤原タクトのエロさ(当時としては)に悶絶。
要するに攻なり大人なりの優位性を確保する手段としてではない、子供の子供としての
特性や輝きを描き、なおかつそれがエロティシズムに結び付いていた辺りが衝撃的で。
あるいはエロから離れ、純粋に少年の素直さや少年同士の固く純粋な結びつきを描いた
MAKOTO氏(本作以外ではついぞ目撃することがなかったなあ・・・)の作品を読んで、
少年を主人公に据えた作品に対する自らの希求なり嗜好なりをはっきりと自覚したのだ。

しかし当時の私に最も大きな衝撃を与え、以降のショタ趣味を決定付けたのは、他でもなく
まんだ林檎の『コンプレックス・イレブン』だった訳で・・・いやもうこの作品は凄かった。
ショタの変態教師を主人公に据えることで臆面も無く少年の魅力を描写し尽くした挙句、
地の部分での少年の描き方からして魅力的なためにその異常性が霞みすらする程度で。
話の展開も本来なら非常に陰惨だし救いが無いはずなのだが、適度なギャグっぽさや
その背後にある万能的な肯定感がそうした後ろめたさを押し隠し、結果としてショタ特有の
稚さや無邪気さ、やんちゃさといった肯定面とエロだけを突出させる効果をもたらしていて。
全体として明るさを保ちつつリアリティと淫猥さを持つ本作にはただ絶句するしかなく・・・。

突然に個人的嗜好の話になって恐縮だが、私は少年が大人の欲望の被害者である点が
感じられてしまうショタが好きではない。露骨に被害者的立場に立たされるものに限らず
少年の行動として不自然と感じられればその不自然さをもたらしたのは大人なのだろうと
考えてしまうし、あるいは背後にある大人の欲望が透けてしまって陰惨さを感じてしまう。
この点で男性向けエロから参入してきた作家の作品の殆んどが読むに耐えないのだが、
このまんだ林檎のように少年を少年として活写した作品には悶絶するしかなかったのだ。
今考えてみるに、性的な支配-被支配関係といった呪縛を体現するための装置を離れ、
少年を少年のまま愛でる、つまり攻の弱さや狡さを覆い隠すための道具ではないショタに
惹かれているということになるだろうか。これは異論も色々出て来そうな気もするが・・・。

しかし当時のまんだ林檎のショタは随一だった。直裁ではないが十分エロティックだったし
キャラクターの躍動感も非常に魅力的だった。本当にショタが好きだったんだろうなあ・・・。
このシリーズの前半(『コンプレックス①』として出版』)はキャラもリアルで魅力的だったし
その葛藤や衝動も含めて描写の機微と淫猥さが光る作品だったと断言できるものだった。
また当時彼女が出した同人誌『THE SHOTAROH』は、801のみに限らず各業界から
ゲストを集め、ショタ趣味についての多角的な分析を展開した興味深いものだったし、
小説家の牧忍と組んで出していた『籠の鳥』シリーズの官能振りといえば他に類が無く、
未だにショタ小説の極北として特筆すべき程の出来だったかと(この点は後述予定・・・)。

ただ惜しむらくは「コンプレックス」シリーズも途中からはゲイっぽい描写が目立ってきたし
終盤に至ってはありえなさやレズっぽさ、妙な教養臭さや陰惨さがストーリーから滲み出し
序盤の輝きを相殺して余りあるほどになってしまって。まあ調子に乗りすぎたのかなあと。
そもそも「コンプレックス」シリーズと平行して描かれた、第1作の変態教師を主人公とした
シリーズもあったのだが、当初から下らないエロに特化して読むに耐えないものだった。
あとは自身が出産し子供を持ったことで、従前のようにはショタを捉えられなくなったことも
影響しているのかもしれない。というか『Eclipse』時代から連載しているエッセイ漫画が
急速に痛い常識知らずのアホ女としか見えない言動を晒すようになっていったりもしたし。

今にして思えば「コンプレックス」シリーズ自体が、ショタが市民権を得ていく時代背景の
絶妙なバランスの下に成立した、ある意味奇跡的な作品だったと言うことなのだろう。
それでも、その奇矯な故に妖しく、昏く艶かしい輝きに魅入られてしまった身としては、
後ろめたさと罪悪感に苛まれつつも密かにショタ作品を追い求めるしかなかったのだ。
あの当時の切迫感は正直意義の薄いものだったと思うし、もう失って久しい感覚だが、
そうした環境の下で読んでいたからこそ面白かったのかなあという気もしていたり。
マイノリティが市民権を持つことは必ずしも業界にプラスに働くわけではないので。
代替策としてショタに流れ込んできた男性読者に掻き回されてきた過去を思うと・・・。
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by bonniefish | 2006-02-20 23:59 | 長文雑想 | Comments(1)
Commented by ark at 2008-03-24 02:13 x
懐かしいです、達也くん。
言われてみて確かに、あれは稀有な作品だったと思い返しました。


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