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2006年 10月 30日

私的「ナヲコ」考

最近碌に感想も書かず私生活上のボヤキが多くて恐縮ですが、もう散々でして(苦笑)。
ドタキャンはされるわデジカメの調子は悪いわ車は擦るわ等、精神力と金が減る減る。
ここも炎上の予感がしますし、やはり先日の滑り込みで運を使い果たしたのでしょうね。
まあ巡り巡れば全て己が咎。歪んだ根性を変えるべくも無い以上愚痴る方が筋違いで。


折角作品を読み返したので、下の記事で紹介したナヲコ氏の作品について若干コメントを。
手間を省くため以前に友人のサイトの記事で述べたコメントに追記する形を取りますので。

まずは事実誤認の訂正から。ショタアンソロで発表の5作品にはいずれもエロがあります。
また少年同士のショタを描いてもいません。少年同士の感情描写はあるのですが・・・。
これらの点は成年コミック『DIFFERENT VIEW』との印象の混淆が起きていたようです。


やはり諸作品を通して読んで思うのは、作品内におけるエロの比重が軽いということで、
これが上記のような印象として強く刷り込まれたのだなあと。もちろんエロいのですが、
「エロに至るために話がある」のではなく、エロはおまけと言うか、心理描写を終えた後に
2人の心が繋がった象徴というか、ハッピーエンド(?)の記号として描かれている感じ。
『JUNE』世代の影響が色濃かった90年代後半までのやおい漫画と印象が似ています。
もっとも発表年代がその頃なのですから当然と言えますが、ショタではやや異色かと。

この点に関しては、ナオコ氏自身が先の同人誌の解題で以下のように述べています。
『エロしばりがないので、そのぶん欠落感の描写が容赦ない感じです。』(『楽園の人々』)
そして同作は『言いたいことが言えた気がし』て『自分でも珍しく、結構気に入っている』と。
ここに挙げられた『欠落感』が、彼女の作品の一つのキーワードではないかと思うのです。

リンク先の記事で私が述べた「幼さゆえの必死さとか一途さ、もどかしさとか甘酸っぱさ」
「幼少時独特のベタベタ感や体温の高さ」の中身というか感情の方向性を見てみると、
「自分を特別に愛してくれる誰かの体温の希求」が強いことに改めて気付かされます。
恋愛感情よりももっと原初的というか本能的というか、幼児が親の抱擁を求める感覚に
近いレベルの情動だと思うのですが、それをキャラがストレートに表す様が描かれていて。
ナヲコ氏が感覚的・共感的な視点からこれを描いていることが読者の胸を打つのでしょう。


「愛情を求める少年(少女)」自体、ショタに限らず801やさらには一般の漫画や小説でも
描かれていますし、私自身読むことが少なくありませんが、多くの場合その情動の理由を
「欠損家庭等における親の愛情不足」というテンプレに任せ、その有様は余り描きません。
もちろんそれでも筋は通りますし、読者側の想像力の作用もありますので感動できますが
この点をないがしろにせずに生々しく描いているナヲコ氏の作品が読者に与える感情とは
そもそも作用点が違いますし、これだけのリアリティで描かれては比較になりません。

また特にショタの場合、そうした少年は主人公に抱かれる客体として描かれることが多く
少年側の心情を濃やかに拾う必要性が薄いことや、先に述べたとおり少年側の感情は
エロを導くために用意されることが多い点も、テンプレ任せの理由として挙げられるかと。
しかしナヲコ氏の作品の場合には、メインとして描いているのは少年側の心情であって、
エロはその情動が満たされた事を示す記号になっており、通常と主客が逆転しています。
(というより掲載誌側の要請で描かざるを得なかった、という感じなのでしょうが。)
この点が彼女と他のショタ(に限らずエロや百合)作家との一線を画す理由でしょう。


ナヲコ氏が描きたいことが上記のような情動であると思われることは、活躍の舞台が
諸分野に渡っていることの説明にも繋がります。主人公の属性と背景を変えてしまえば
どのジャンルにおいてもこの情動を描くことは可能だからです。もっとも情動の性質上、
ある程度主人公の年齢が高くなると理性面からの狭雑物が入りやすくなるでしょうから
一定の縛りはかかるでしょうが、ショタ、ロリ、百合というのは良い着地点でしょう。

実は彼女の作品では「親の愛情不足」が直接的には描かれていない点も興味深いです。
欠損家庭が描かれることは少なくありませんが、情動自体はもっと一般化されています。
考えるに上記の情動は親の愛情の多寡とは異なるレベルでも生ずべきものでしょうし、
安直な理由付けに頼らず生々しい感情を画面に表している点も長所と言えるでしょう。
ただもし上記の情動に理由をつけるとしたら彼女がどのような理由を用意するのかは
非常に興味深い点ではないかと。もっとも理由など不要なことも分かってはいますが。


現在ナヲコ氏は百合系で活躍しているわけですが、リンク先の記事でも述べたとおり、
「エロのくびき」から離れたことはナヲコ氏およびその作品にとって良いことでしょう。
彼女自身が「エロしばり」という表現を使っていることもその裏付けになると思います。
読者がエロが求めている媒体で作品を発表したために、その媒体のメイン読者層の
嗜好とのズレてしまって単行本化等の妨げにもなっていた、という弊もありますし。

また上記のような情動の解決策としてのエロ、特に大人とのエロが描かれた作品では、
「心の寂しさを身体で埋めている」というようにも読めてしまうため(個人的にですが)、
それを少年が行っているという点に若干の苦さや陰惨さのようなものを覚えてしまって。
彼女が描こうとしているものを受け取るに際してエロが狭雑物になっているというか。
もっとも彼女の話からは「体温」への希求が強く感じられるため違和感は薄いのですが。
(この「体温への希求」のリアリティも彼女の特徴ですね。作品の官能性の源泉かと。)

他方ではショタにエロを求めることもある身でありながらの全く矛盾した意見ですが、
彼女にはこれからもエロではないラストを描いて欲しいと希求するばかりであります。
ある意味「安直な解決」でもあるエロを使わないことは、困難を伴う作業になるとも
思うのですが、彼女であればその結果として素晴らしい作品を描いてくれると思うので。
・・・結果としてショタを離れてしまいそうなのは口惜しいですが、仕方ないのでしょうね。


妙に長くなった上まとまりもなく勝手な意見も多く恐縮の限りですが、今日はこの辺りで。
また機会があったら別な角度からもコメントしたいと思います。いつになるかはさておき。
もっと多面的な読み方が出来る傑作揃いの一冊と思いますので、皆様是非ご一読をば。

by bonniefish | 2006-10-30 23:59 | 長文雑想


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