2004年 04月 04日

蔵書整理

また間が開いてしまいました。私の引越しの他に実家も引っ越すため忙しくて・・・。


2日に寮を引き払い、東京の新居に荷物を運び入れたのだが、これがまた凄い量で。
広いとは言い難い新居に積みあがった荷物を見た親に絶句され、整理を申し付かる。
個人的には部屋に納まる量であれば処分は避けたいところではあるが、現在の所
801の雑誌について処分は避けられない状況になっており、諦めもついている。

改めて思い返すに、そもそも本が溜まったのは、ジャンルがジャンルであるだけに
うかつに処分が出来ないから、とりあえず段ボールに詰めたというだけなのである。
しかし量が増えてきて、マニヤ特有の収集癖が頭をもたげてきたのが痛かった。
あとは昨年の5月にも書いたとおり、本を捨てるという発想が無いことも一因で。
結局殆どの本と雑誌を処分することなく9年間が経過してしまったのだ。

あと個人的な価値感覚というか貧乏性の発露というか、感情的な理由もあるわけで。
私が買って所有している本は、私が所有している限りにおいては、私にとって
購入価格と同価値のものであるわけで。つまり880円の本は880円の財産だと。
しかしこれを売却するとなると、価格が付くか付かないかというレベルになってしまう。
つまり実際上、私の801蔵書については交換価値はほとんど無いわけである。
ただこのような売却を試みたり、あるいは再評価を行おうとしない限り、私の蔵書は
私の主観からみた価値を維持し続ける訳で、金を費消したという印象が薄くなる。
やはり私も本に毎月大金を投じることへのためらいや後ろめたさと無縁ではないので
この「費消していない」という感覚が、何物よりも得がたいものであるわけですよ。
多分大方のコレクターというのはこうした発想で物を買い集めていくのではないかと。

しかし積み上がる本に生活空間を過大に占有させてしまうわけにもいかない訳で、
処分もやむなしではあるなあと思い心沈む今日この頃であります。
まあ今回の引越しに当たって、本を自分でトラックに積み込んで輸送した上で、
新居で荷下ろしをして2階の自室に運び込んでいる作業中な訳ですが、あまりの量に
体力の限界を感じています。ていうか再独立したときのことを考えると恐ろしくて・・・。
やはり自分の城を持つまでは所有できる物量に制限が課されるのは不可避なのかと。

雑誌についてはMBBとGUST(GUSH)とDear+を除いて処分予定。
書籍については大整理を行ったうえで、処分の可否などを決定するつもりです。
しかしいつそんな時間が取れるやら・・・。

あと書籍の購入量についても一定程度減らさざるを得ないでしょう。
まあ勉強もしなければなりませんし、収入も激減するので丁度良いかもしれませんが。
ただ先月の26日最後に書店を訪れていないので、明日も買い込みそうな悪寒・・・。


当然引越しのバタバタで本を読む時間もとり辛いので、読んだのは以下の2冊のみ。

松前侑里『籠の鳥はいつも自由』は受攻ともの自己中っぷりに眩暈がしてしまう。
それなりに作り込まれているのだが、やはりこの作家のカラーが出てしまうのか。
自分の感情を処理するだけで精一杯な受視点で進む小説は移入できないと辛い。
一般に厨ファンが多いとされ、また三行半を書かれやすいのにも頷ける気はする。
まあ一定のレベルの作品を出す作家ではあるので、袈裟懸けに切り捨てる向きには
反論もしたくはなるのだが、まあ昔の自分を忘れたい人々に抗っても仕方が無いし。

朝丘戻。『晴れの雨。』は評価に困ってしまう。好きな作品とは言えるのだが。
何というかこの人のは後書きだけを読んでいると独特の哲学をお持ちのようで、
私はそれに7割以上同意しつつも、やはり商業作品として若干の異議も申し立てたく。
普通に相思相愛になることだけがハッピーエンドではないという意思表明を読んだ時は
思わず快哉を叫んだし、筆致も主人公の書き込まれ方にも魅力を感じているのだが、
結末まで読み通すと、普通に相思相愛にした方が話としてまとまる気がしてならない。
私の脳が801脳になってしまっていて常識から離れられないからかもしれないが、
「そうまでして無理に別れさせたり殺したりしなくてもいいじゃないか」と思ってしまう。
というかそんな奇抜さ(ある意味の安直さかも・・・)をてらわなくとも、この作家は
その筆力で十分読者を感動させる良い傑作が書けるのではないかと思うのだが。
読後に違和感が残った状態で、また内面に入り込んでしまった後書きを読んでしまうと、
ちょっと白けてしまうというか過剰な自意識に当てられてしまうというか。
この辺りの自己顕示や自己抑制と表現のバランスが難しいことも再確認されてしまう。
次回作こそはもう少しエンターテインメントを取り入れてよい作品を書いて欲しいと思う。


なんだか偉そうなことを言ってしまいましたが、物事の伝え方は本当に難しいと思う。
シニフィアンとシニフィエの齟齬に加えて、聞き違いなどの物理的な錯誤なども考えると
2つの主体の間で意思疎通が成立していること自体が奇跡のようなものなのだろうけど。
まあそこまで小難しく考えなくとも、こうしてまがりなりにも拙文を公開している以上は、
リテラシーの問題に鈍感では当然いられないわけなのでしょうがね。
・・・そこまで意識が回っているなどとは口が裂けても言えませんが・・・。

(初出:『Ethos』「やおい雑記」。本記事は2006年10月12日に転載されたものです。)
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by bonniefish | 2004-04-04 03:04 | 小説感想 | Comments(0)


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